砂漠にはなりきれない

 砂漠でも荒野でも街中でも山でもどこでもいいのですが、隕石が落ちた場面を想像してみてください。隕石の大きさはどのくらいでもいいし、そこがどういった場所かというのもわりとどうでも良く、その日がいつだったというのも比較的どうでも良い。勿論若干の影響は考えられるけど、それはその後の運命の速度を変えてしまうだけのこと。突然・何の予告もなく・隕石は落ちた。そして、とても長い間そこに放置されている。もしくはそこが街中であり、その隕石が人の手によって動かせる大きさのものであるのなら、邪魔にならないところに移動させられ、また、もしくは人の手によって動かせないくらい大きく、街が壊滅状態になるくらいの大きさだったのなら、その場所にずっと居続けるだけの話。その場所がどこであっても、それがいつであっても、その後の運命の速度を変えてしまうだけのこと。石は砂になる運命を避けることはできない。隕石は風雨に晒され、次第に崩れて砂になるということに違いはないのだ。
 砂になった隕石は、一部は風に飛ばされてよその土地へ移動し、また他の一部は周りの土と混ざる。その場所には何かの植物の種が風で飛ばされてきたり、その中の何粒かは根を張って成長したり、育った植物を食べる小さな虫がよそからやってきたり、その虫を食べる動物がよそからやってきたり、小さな動物の死体を食べる微生物が土の中をうようよしてたり、そうこうしているうちに植物は大きく育って木になっていて、いつの間にか隕石が落ちた場所は森になっている。その時には隕石の姿は勿論見当たらない。隕石はなくなったわけではないが、もはや姿を見ることは出来ない。かつて隕石だった砂は、今となってはいったいどれが隕石だったのかなんて分かりはしないし、どこかに飛んでいってしまった砂もたくさんあるのだから。
 しかし、そこにあるのは砂漠ではなく、奥を覗き込んでも何も見えないとても暗い森である。もしかしたら、森の中を歩いてみると驚くほどに青くて明るい湖があるかもしれないし、象が死ぬ前に必ずやってくる場所があって象の腐った死体や骨がたくさん埋まっているかもしれない。産業廃棄物が大量に不法投棄されている場所もあるかもしれないし、錆びてしまったどこかの国の車も捨てられているかもしれないし、その中にはどこの誰だか知る由もない人の死体が眠っているかもしれない。貧しい男が涎の垂れた年老いた母親を捨てに来る場所もあるかもしれないし、その横では血の色をしたくちばしの小鳥が花の蜜を吸っているかもしれない。もしくは、それらは全部なくて、まるで違うものがあるかもしれない。


 その森が私です。私は隕石として生まれて、森になった。隕石であった私は崩れて様々な生物や無機物や、HやOや記憶や時間やありとあらゆる事象に巣食われて、今はもう粒としてしか存在しない。だが、確実に隕石はそこにあった。悲しいわけでも嬉しいわけでもない。ただ、私はかつて隕石で、気がつけば森になっていたというだけのこと。私は森である。私はもういない。