踏み潰された柿のように

知らない村をこっそり歩いたら、犬が一匹散歩していた。どこの子でもない犬は夕暮れでも楽しそう。この村の住人になって、夕焼けに照らされる道路に立ち尽くし、誰もいない風景を眺めたらどんな気持ちだろう。道路の遠くを人懐こい犬が普段見せないような顔で歩いている。犬の後姿が切り抜かれたみたいに真っ黒い影になる。枯葉を燃やす匂いがする。小さな橋にもたれかかって日が暮れる。この村に住んだら楽しいだろうか。それとも明日が来ないような気持ちになるのだろうか。沈みかける太陽のような村。苔むした瓦。私は踏み潰された柿を見つめて考える。
閉園後の公園を人に見つからないよう息を潜めて歩いた。息がもう白い。宇宙の外には何があるのか、何もない場所には何があるのか、本当の色は何色なのか、私の分からないことを分かる存在がどこからかやってきて、世界の秘密を耳元で打ち明けてくれたとしても、私には分かりっこないのだ。私がどんなに長生きしても、私の子供や孫やずっと先の子孫達にだって分かりっこない秘密。なんて残酷で悲しいことだろう。だけど、なんて美しいことなんだろう。そういう夜の車の中は静かで冷たくて、苦しくなるくらい孤独で気持ちが良い。人のいない温泉に入り、際限なく溢れるお湯を見る。ごはんを食べたら体が温かくなりすぎてぼんやりする。外の空気は冷たいのに顔がとても熱い。もらった音楽は視界が曇るくらいに白くぼやけている。起きているのか眠っているのか、どこまでが自分の体でどこからが毛布なのか、今がいつなのか、蝶が夢なのか、分からない。夕方の雲は光る海のように見えるということ、夕方の蜘蛛は鋭利で空を切り裂くということ。夜の山をものすごいスピードで走り去るおばけ、深夜11時に聞こえる湯船の音、小さい頃に行ったオルゴールのあるお店の記憶も、全部熱で溶けて混ざっていつしか消える。