インフル休暇中

何かをやり遂げるためには冷静でなければならない、ということを私は知っている。ロマンティックは狂人には作り上げられないということは、ロマ狂*1を読む前から薄々気がついていたのです。見苦しいくらいに孤独なときほど、私は冷静になる。勝率はぐっと高くなる。舞台裏の話なんて一度きりしか使えないのだから、そんな切り札は死ぬ直前までとっといてやる。

ところで、福岡には嫁いらず地蔵というなんともセンセーショナルな名前のお地蔵様がいます。古来から夜な夜な独身男性に愛撫され続けたせいで、妙に艶かしい光沢を持ったお地蔵様に違いないと思っていたのですが、さっきググったら数件だけ出てきた。「ホントは嫁の手いらずにしようと思ったけど、それだとインパクトにかけるから」「嫁の手も借りずに大往生できるように」って、住職おもしろくないです!でも今度見に行ってみよう。

おそらく皆さんに誤解されてると思うのですが、私はVOW的視点があんまり好きじゃないです。こんなしょうもないものを喜ぶオレ、みたいのは面倒くさいので、っていうかしょうもないものにいちいち喜んであげるのも癪です。VOWは好きですが、そういう思想が世にはびこると非常に胸糞悪いですよね!世界、滅んじゃえ!皆もうちょっと美しいものに目を向けるべきだと思います。くだらないものなんか見てる場合じゃないです。

ところで、先日私のとっておきの話をこっそり打ち明けてたときに思い出した。思春期のおかしな妄想についてですが、一番目の話はとっておきなのでとっておきますけど、二番目にあげられるのは「外に出ると必ず変な人に遭う」というものでした。確かに当時は妄想に過ぎないと言い切れないほど頻繁におかしな人に遭遇しており、しかもすれ違うだけでなくわざわざ声をかけられたりすることが多かった。いまは職場で本当にギリギリな人に接することもあるから、そういうことが気にならなくなっただけかもしれない。それから、これも私は真実だと信じていたのですが「私には必ず欠陥品が届けられる」というのもあった。これはもう妄想としか言いようがないですね。
しかし、前者に関してはわりとまともな理屈が考え付きます。すなわち、当時の私は心身ともに脆弱な娘だったので、おかしな人に見つけられやすかった、ということであります。おそらく声をかけやすい娘だったのでしょう。いまは声をかけられることはほとんどありません。

最近考えたのは、世の中の全ては確率の問題であるということ。必然は偶然の積み重ねで、偶然を起こすためには可能性を高める努力が必要です。時々通る山の中の県道沿いに廃車があって、実はその中には白骨化した死体が入っていたということを小さなニュースで知ったけど、それだって偶然に偶然を重ねた私だけのもの。私は時々そういう話を不特定多数な誰かに聞かせてあげるけど、全部私だけのもの。