循環

職場の斜め向かいにある燃料屋さんは、先日の地震で文字通り斜めになってしまった。ブロック塀も崩れかけており、まさに崩壊寸前といったところである。
3月も終わりだというのにぐっと冷え込み雪まで降り出したので、慌てて燃料屋に灯油を買い足しに行った。空は分厚い雲に覆われて、昼間なのにどんよりと薄暗い。壊れかけた燃料屋の玄関先でベルを鳴らすが、誰も出てこない。いつもは背の低い白髪頭の老人が意外としっかりした手つきで灯油を届けてくれるのだが、今日はまるで人の気配がない。ガレージに入り込んで大声で人を呼ぶが、驚くほどに静かなままだ。暗いガレージの中には根の腐りかけた盆栽や錆び付いたスコップやプラスチック製のジョウロや、本当に古い、動くのか心配になるようなカブや、様々なものが雑然と置いてあるが、光がほとんど差し込まないので奥のほうは何があるのかまるで分からない。積もった埃は長い年月を経て、闇を構成する立派な部品になる。ここにあるものは何もかもが埃をかぶって真っ黒なのだ。
ガレージの隅のほうには小さな窓があり(というよりは隙間といったほうが適切だろう)、細く光が差し込んでいる。視線を光の落ちるところへやると、そこには檻が置いてある。しかし、寒さを防ぐためであろう、ダンボールでぐるりと檻の周囲を囲んであって中に何がいるのかは分からない。ダンボールの隙間から餌箱と水が見えるが、中にいる生き物は見えない。鳴き声も聞こえず、ガレージの中は相変わらず静かなままである。真っ暗闇の中で眠り続ける生き物の吐き出す二酸化炭素と、腐りかけの植物が吐き出す酸素で、このガレージは循環し続けている。
ガレージの奥は住居になっており、おそるおそる覗いてみると、室内の明かりは消えており、暗い部屋の中には敷いたままの布団とちゃぶ台があるのが見える。広告を切って作ったメモ帳や鉛筆や湯のみ等がちゃぶ台の上に置いてある。畳の上には小さな目覚まし時計もあるが、4時を差したまま止まっている。視線を部屋の奥のほうへ向けると、引き出しが半分ほど開いたままになった箪笥が置いてあり、次の瞬間、私は思わず声にもならない小さな空気を喉の辺りで爆発させた。箪笥の横には妙に頭の小さい、無精髭の生えた老人が、目をつぶって壁にもたれかかり座っているのである。
一瞬「死んでいるのか?」とぎょっとしたが、声をかけてみると老人は目を開けてゆっくりと立ち上がり、こちらに歩み寄ってきた。歩いている姿を見ると、老人の体のバランスの異様さがはっきりと分かる。「灯油を買いに来たんですけど」と言うと「にいちゃんは今配達に行ってるから、後で届けるように伝えておく」といったような内容を、聞き取りにくい声でぼそぼそと告げた。
表に出る前にふと振り返ると、老人はゆっくりと元の場所へ戻って行っていた。私はその時ズボンの裾から見える彼の右足が義足であることに気がついた。おそらく彼は同じ場所で何年間も眠り続けているのであろう。腐った畳の上にずっと同じ姿勢で座り、うたたねを続ける。彼を起こすものは何もない。時計もガレージの檻も沈黙したままである。瓦礫の山の上に残った壁にもたれ、畳に座って呆然と時間を過ごす老人の姿を思い浮かべながら、私はその場を去った。私が立ち去った後も、酸素と二酸化炭素の循環だけが途切れることなく静かに行われる。