戦争勃発前夜の食卓

食玩の飲茶セットで餃子や春巻や杏仁豆腐に人格を持たせて遊ぶのが楽しみの一つという恐ろしい人の参上です。蒸篭の中に小さな透明のピンクの金魚を入れて、金魚餃子の真似をする金魚の独り言やら、ザクとシルバニアファミリーのふたごうさぎの赤ちゃんとの戦場のボーイズライフな会話やら、そういう誰に演じるでもない寸劇でねちねちと遊ぶのが趣味なのですが、そんな楽しい場面さえ地震で台無しです。でも本当は寸劇のラストシーンは、いつも不条理マンガの如く突然現れた巨大な私が全てをひっくり返す。地震よりも私のほうが不条理。足の爪をピンクに塗り、その上に小さな星のラメをのせて頭の悪さが増しました。そういう神様。巨大な私が地面を揺さぶってお話しを終わらそうとしているなら、もうどう足掻いたって無駄だな。胡麻団子を中国茶の入ったお急須に入れ「あったかーい」って遊んでる神様に何を話したって無駄だ。お話しが早く終わらないかなーというのと、なんとしてでも死にたくないなーという思いで頭がぐちゃぐちゃです。
昼間、職場の隣近所の住人達が表に出てきて、空のほうを指差して騒いでいた。地震雲が出ているという。福岡は地震とは無縁の土地だったのにこんなにも地震が続いて、みんな興奮していて、深刻になると怖いから、黙ってると恐怖に耐えられないから、冗談ばかり言ってはしゃいでて、おかしな流言とこの妙な明るさが私は怖い。地震による被害は私の周りは特にないけど、人間の様子はほんの少し変わっている。爆弾が落ちただの、ビルに飛行機が突っ込んだだの、そういう目に見える大きな変化はないけど、生活の隙間に入り込んでくる粒子のような不吉な予感が呼吸をするたび私の中にも入ってきている。私は寝不足で、帰宅してすぐ寝てしまって、真夜中に目が覚める。妹は部屋の小さな灯りをつけたまま寝ている。そういう小さな非日常が少しずつ浸透していってる。私の住んでいるところがまるで知らないところに変わってしまう前触れのような、戦争勃発前夜のような、そういう空気が漂っている。大人が空を指差している情景は、私にとって日常が緩やかに狂っていっていることを示しており、それはまさしく悪夢であった。