本当は時速90キロで恋をする金魚の話が読みたい


山のおくの谷あいに
きれいなお菓子の家がある

門の柱は飴ん棒
屋根の瓦はチョコレイト
左右の壁は麦落雁
踏む敷石がビスケット

あつく黄ろい鎧戸も
おせば零れるカステイラ
静かに午をしらせるは
金平糖の角時計

誰の家やら知らねども
月の夜更におとづれて
門の扉におぼろげな
二行の文字を読みゆけば

「ここにとまってよいものは
ふたおやのないこどもだけ。」

(「お菓子の家」西條八十


さいごにお母様をだいた。さいしょはお母様のひざにまたがりたくて、それから二階へいこう、といい、いっしょにねた。お母様のたいども少し冷せいに案じがおであったし、私も「先生にわるいね」といってよしたが、もう先生は心の中からきえていた。すっかりきえてそのかわり、私だけだった。おなかのあつい私。お母様は何ものでもなかった。ただ私のあそびの仲間だった。

(ユキの日記)


白壁の家
裏庭の砕塊溶岩
未央柳・栗樹

晴天 曇天
季節の変貌さえも
僕等のいつかどこかでの
記憶であり

それは銀幕のように
忠実に映し出され、
僕等はその中に暮らしている

僕等にとって過去は
闌れた菫の残り香の印象である

(「Limonea Act 1」鳩山郁子


 さて、きょうは、この鱒は墓が水中に納められるところをじっと見ている。水底からわずか数インチのところ、シャフトから十フィートほど離れた所で、ゆらゆらしている。
 わたしは行って、川岸にしゃがみこんだ。鱒はわたしがそんな近くに現れたことを、ちっとも怖がらない。「堂々たる長老鱒」はわたしのほうを見た。
 わたしのことがわかったらしい。だって、わたしのことを二、三分ほど、じっと見つめていたのだ。その後は、墓の作業、最後の飾り付け作業を見物するために、こちらに背を向けってしまった。
 わたしは川辺のそこのところにしばらくいたが、小屋に戻るために立ち去ろうとすると、「堂々たる長老鱒」はまたこちらを向いて、わたしをじっと見つめた。わたしが行ってしまって、もう姿が見えなくなってしまってからも、かれはわたしをじっと見つめていた。と、わたしは思った。

(「西瓜糖の日々」ブローティガン


私は この後も
本当に このまま
死ぬんじゃないか
と思うと
ものすごく不安に
なったりしたけれども

大好きな映画や
青い空とか
広い草原のイメージや
死ぬのは嫌だと
言われたことなどを

思い出していると
だんだん気持ちよく
なってきて
幸せな気分になった

(「ピンクの液体」華倫変


けむりという名の子猫が死にました
お城の庭に埋めました
七年前の冬でした

春になって
グラジオラスの花の種をまこうとして
土を掘りおこしていると
出てきたのは小さな猫目石

キャッツアイはけむりの思い出
夜になると
母の宝石箱のなかで
大きなまばたきをするのです

かわいい子猫の
けむりの目玉!
お嫁にいくとき ついてきてね

(「猫目石寺山修司