ぎゃーていぎゃーてい

今日の日記は、人に嫌われ残念な思いをした私が、私の好きなものに対する気持ちを書いた日記で、全くもって面白くないのでますます人には嫌われそうだけど、それでもいいや私は好きなことを書くよ、という日記です。悲しいものはどうあっても悲しい。涙の数だけ強くなれるなどいう思想は貧乏臭く、悲しみを薄めるのは嫌いなのが本心です。いつも嘘ばかりを書いて本当のことは書かないようにしているつもりですが、虚構の悲しいことは甘美だけど本当に悲しいことは悲しくて胸が痛い。息が苦しい。心の中で何度かおまじないを唱えた。この世界には本当は何もないということやその事実を知っていた偉い人のことなんかは私にはどうでもよいことだけど、これを唱えれば幸せになれるというおまじないの部分だけ、何度か唱えた。しかし、犬の幸せとはいったいなんだろう。目もあまり見えてない犬が時折何もない方向をむいて尻尾を振っているのは、おそらく幻覚でも見ているのだろうけど、いったい尻尾を振るほどに嬉しい幻覚とはなんだろう。それを考えれば考える程悲しくなってしまう。私はいま本当にとても悲しいんだけど、別れるということがこんなにも悲しいということは私が幸せだった証拠であろう(これもまた貧乏臭い考えですが、でも事実)。別れが悲しいものがあるということは、自分が死ぬときの喜びがあるということ。さて、その犬は実はまだ死んでおらず、動物病院の先生にも驚かれるくらいの生命力で頑張り続けている。私はいったん自宅に帰ってきたので今は隣にいるわけではないのですが、消えていく命を見つめる週間でした。命を受ける、生まれてくる、ということの業の深さを目の当たりにした数日間でした。自力で死ぬのは無理だよなー。そろそろ気が済んだので、寝ようと思う。もし明日の朝にもう二度と目が覚めなくても、明日は無理でも、一日でも早く楽しかったことや恥ずかしかったことを笑って話せますようにとお祈りをして寝る。