続く

「死の瞬間」というものはただの事象で、確かにその瞬間に全てが凝縮されているだろうし、そこに今までの過程を含んだ結果を出さなければ意味がないと思うし、でも単純にその瞬間って滅多にお目にかかれない貴重なものではあろう。しかし、生が続くものなら死も続くもので、まーどっちも永遠に感じてしまうくらい温くて長いもの。死は続く。取り返しの付かない一瞬があるのなら、あまりに残酷すぎてやりきれないと思う私は臆病で甘ったれなのであろう。でもきっと世の中に取り返しのつかない一瞬なんてない。時間は限られているのは事実だけど、それは一瞬じゃない。そして瞬間は続く。
でも、単純に死の瞬間は見たいな。私一度も見たことないから。
そんなわけで実家と自宅とその他とを行ったり来たりしてます。今日はまた獣医さんのところに行って、大往生を迎えるにあたっての打ち合わせをしてきました。苦しまずに老衰で、というのも結構難しいことみたい。実家の近所にある動物病院の寡黙な(ぶっきらぼうともいう)獣医さんだが、こちらからいろいろと疑問や要望をぶつけると予想以上に親切にしてくれて、本当にありがたかった。
ねーねー皆さん、こんな話はきっとお望みではないのでしょう。おセンチすぎますか。くだらなすぎますか!しつこいですか!?だって予想以上に犬が頑張るんだもん!!悪いか!いつまでもしょうもない話ばかりですいません。でも、私は本当に思ったんだよー。虚構の悲しみは時に美しかったり甘かったりするけど、目の前にやってきた悲しみは、私がいつもするみたいに暗闇の中に降る雪を見て夜間飛行を楽しんだり、煙を肺の中に入れて浮かんでみる想像だとか、そういうことをすっかり忘れさせてしまって、私はただただ年老いた獣を撫でさするばかりだったよ。日が暮れて和室がだんだん薄暗くなってきて、時計の音と犬の呼吸音だけが聞こえて、気が付けば外は真っ暗になっていた。部屋に一匹の羽虫が入ってきて、灯りの周りを変な軌道で飛んでいた。毛と涎と尿にまみれて今日も私は呆然としていた。