ロケットを見た話

9/22金曜日。20時福岡発。0時に鹿児島の端っこに着いて、内之浦の見学所に着いたのが2時か3時くらいだったから鹿児島は結構大きいのなー。1時間弱仮眠をとる。ロケットの打ち上げは土曜の朝6時36分。ロケットは茶色くなくてトンカツじゃないものという知識しか持っていなかったけど、ロケットの偉大さはよく伝わったので感銘を受けてロケット讃歌を作詞して歌っていた。おおロケットよ、ロケットよ。赤くて白いロケットよ。我が母校。とにかく、ロケットは早くて眩しく、大きかった。あっという間に雲の中に消えていった。人類はよく頑張ってるなーという感じ。アンテナもよく頑張ってた。これは多分私が日頃イラレを頑張っているから、宇宙関係の人たちがロケットだのアンテナだのに専念できるのだろう。だから私もよく頑張ったと思う。

ロケットを見終わってから、温泉に入った。とてもよい風呂だったが朝日が眩しすぎた。その後、休憩室でみんなで雑魚寝をして、はっと目が覚めたらかおりさんが海を見に行こうというので二人でこっそり見に行った。外を歩くと海の音しかしなくて本当に静かな場所だったが、波が激しすぎて怖かった。鶴田謙治の漫画に出てきそうな、明るくて静かな漁村だった。駐車場に停めてあるよその車のバンパー部分に何故か巨大なねこじゃらしが差してあったので、このあたりはまだ残酷な風習だと残っているのだと思います。ロケット関係者の人も村人との争い事を恐れて夜7時以降は外出をしなかったという。そして、村の婦人会の人たちがロケット発射の成功への祈りを込めて折る千羽鶴…。点と点がいま、繋がる…。

←ピカチュワ

↑かおりさんを盗撮しておこうと思ったらその他の二人が面白い動きをしてくれた。
海でキャッキャウフフとした後、ラーメンを食べた。それから宇宙研究所の中をもうなめ回すように見学した。

↑ロケットを打ち上げた何か。

↑打ち上げ直後もその後もよく頑張っていたアンテナ。

その後の記憶がとんとないが、この日は確か川添さんのご実家に6人でわぁわぁと押し掛けて面白かった。梨とリポビタンをいただいて犬をなでまくって退散した。高速のサービスエリアに車を停めて寝た。
9/24日曜日。青島神社平和台公園とはにわ公園へ行く。青島神社ではやどかりを石のくぼみにたくさん集めて、新しき村を作ろうとしたら水たまりに落ちた(私が)。鬼はサーファー達をあの洗濯岩でゴリゴリ洗って食べるのだから残酷ですよね。鬼の洗濯岩の上を歩きながら永石夫妻の高校時代の話を聞けて面白かった。かおりさんが永石さんは強烈な先輩だったというので、どう強烈だったん?って聞いたら、吹奏楽部でコントラバス4人か5人でアンサンブル大会に出ようとしたけどすごい早さでモゴモゴ演奏していたので何が何やら分からなかったと言っていた。私も吹奏楽部だったのでかおりさんとパートの当てっこしたけど、私は一発で当てられたので残念でした。もっと意外性のある人間になりたい。でもかおりさんもフルートとみせかけて実はトランペットかパーカッションだと思ったけどフルートだった。私の経験上、ちっさくて細くてきゃわゆ〜い感じのハチクロのはぐきみたいのが意外と勇ましくトランペット吹いとるけんね。
平和台公園では思想系の浮浪人のおじさんに外人の嫌さ(この塔に火を灯すと外人が怒る、何かあるごとに外人が怒る等)を伝えられた。浮浪人に怯えながらはにわを見ていたら、やはり音君にそっくりなはにわがいた。平和の塔の前でリポビタンで乾杯したらすごくオフ会って感じになってしまいました。
←犬
←リポビタン

↑風呂上がりの三十路達
帰りに霧島神宮の近くで露天風呂に入って、きつねそば食べて、終わり。月曜日は疲労のせいかかなり体調が悪く、一日中きつねに包まれているみたいだった。火曜日は夜中にわぁわぁ泣きながら外に飛び出て川沿いをぺたぺた歩いていたら眼鏡をかけていなかったので雑草の深いところに入り込んでしまい、自分でも何をしたかったのかよく分からない。今日は苦しみを埋めるようにお菓子を一日中くちの中に押し込んでいた。お菓子を食べることが苦行のようだった。