白い蛸

妹のピンクの手帳にはビニールのカバーがかけられていて、その中には宇野亜喜良が描いたようなタッチの蛸の絵が挟んである。真っ黒な丸い紙製のコースターの中に描かれた白い蛸は、暗闇を横切るような格好をして浮かんでいる。このコースターは昨日仕事終わって帰るときに、館長にもらったんだよ。外国の水族館のおみやげ屋さんで買ったんだって。日が暮れた後の水族館のさびしさや心細さといったら、きっとおねえの想像もつかない世界。天井の高いロビーには昼間の楽しげな家族連れやカップルや色鮮やかな魚達の記憶が全部しらけてしまうような蛍光灯がついていて、外は薄暗くて寒くて、誰もいない。大きなガラスに映る長靴を履いた私たちの姿はまるでオバケみたいですごく侘しい。成仏できない灰色のオバケ達がガラスに映りこむ。ふらふらと行き来する。小さな水槽が並ぶ長い廊下の突き当たりにある扉の奥に、予備の魚達を飼育してる部屋があって、私もフグを担当して飼育してる。ホラ見て、写真。可愛いでしょ。黄色いのがハコフグ、珊瑚の影に隠れてるけどもう二匹いる。全部で三匹。名前はつけたりしないけどずっと私が飼育してる。仕事終わったらこの子達の様子を見て、私は帰る。さよなら、おやすみ、って電気を消して帰る。そうして、長い廊下をまたとぼとぼと引き返してると向こうから館長がやってきて、おみやげだよってこのコースターをくれた。白い蛸。外国の魚も日本の魚も同じ水で寝ている。夜行性のやつらは目を光らせて真っ暗な水族館の中でもきらきらと泳ぎ回る。大量の水と分厚いガラスで出来上がった水族館の中は、水圧で押しつぶされそうな灰色の死霊と白い蛸が泳いでいることを、水族館が絶望しちゃうくらい威圧的なのはたくさんの水のせいだってことを、おねえは知ってた?