煙と私

風邪をひいて欠勤。熱にうかされたうわ言のようなことばかりを話す。体の中にジェラートが詰まっていて、そのジェラートが体中を循環しているようなイメージ。しかし冷たくはないし、熱くもない。髪の毛も歯も抜け落ちて、体が溶けていってるような心地よさです。
境界がはっきりしない、自分とそれ以外が区別しがたいという今の私の頭の中に浮かぶ風景は、大きな湖とそこに浮かぶ水鳥達のことであった。ドライブの途中で立ち寄った山奥の湖で、私は脆い氷を割ったり、小石を湖に投げたりしながらぼんやりと鳥達を眺めていた。凍りかけた湖に浮かぶ鴨や白鳥は時々水に潜り、羽毛につつまれた厚みのあるおしりを振って気ままに泳ぎ回っていた。水面に映る風景を眺めていると、突然水中に白い煙が噴出した。煙はみるみるうちに広がって水に混ざり、そのうち消えて行き、白い核だけがゆっくりと水底に沈んでいったのであった。それは大きな白鳥が排泄した糞で、何事もなかったかのように白鳥は湖の中心に向かって泳いでいってしまったのだが、一日中水に身体を浸しどこででも排泄できるという状況を想像しただけで私は自分がドロリと溶けていってしまう快楽と不安に浸りきってしまったのでした。弛緩した温い快楽、拡散し煙になって世界に混ざりきってしまう不安と安堵。冷たい水が一瞬体温と同じ温度になる。排泄物と自己と世界(shit,me,and world)。つまり私は糞やろうということです。

目が覚めたら真夜中で、自分がどこにいるのか、何をしていたのか、今は昼なのか夜なのか、何もかも分からなくなってる瞬間が好き。さっき目が覚めた瞬間がまさにそうでした。週末はベロアのワンピースを着て、真っ白いニット帽をかぶり、真夜中の神社に行こう。怖い鳥が木の上で鳴いて、丸い大きな目の雌鹿が網の向こうで怯えている。私は細くて長い影になって石の階段を登る。広がった裾ときれいな形の靴と付け毛のおさげはフェイクの純潔で、日付が変わると私はただの屍に戻ってしまうことも重々承知だけど。