肉屋と森

毎日のように文字を書くことは、自分のお肉を毎日大安売りしているようなものだろうか。言葉を脳みその中で考えることはお肉を生産していることになるのか、それともお肉を安売りしていることになるのか、感情を言葉に置き換えた時点で肉を店頭に並べるようなものなのか、言葉を外に出したときに初めてお肉を売ることになるのか、空気が漏れるみたいに口からでまかせを言う場合はそれもまたお肉の大安売りなのか等、この問題に関しては一向に終わりが見えません。でも一番問題なのは、言葉が私の肉なのかどうかということと、本当は私に肉はないのでは、ということです。私をたとえて言うなら、やはり肉ではなく砂粒であり森である。そういうわけで、森である私が今夜も葉っぱを一枚落として乾いた音を立てようかしら、と思った次第です。
昨日の夜、友達がサイトに書いていた「ある人の台詞」というのが、とても私らしい台詞だった上に、私にはまるで発言した記憶がなかったので軽く混乱した。すごく私が言いそうな台詞なのである(私は本当に怖い人みたい)。ちょっとした多重人格探偵の気持ちになって、夜な夜な家を抜け出し、近所中の毛並みが悪い動物をさらっては真っ赤な立方体を作っているもう一人の自分の姿が見えたような気がした。しかし結局それは私の台詞じゃないことが判明して、今度は自分の頭の気の毒ぶりに驚きました。そのうちネット上のあらゆる発言を、自分を集団ストーカーしてる人たちの仕業だと思いかねません。
大人になって思うのは、本当の肉を売る必要はないよね。院長は本当のお肉がいいと言って口からよだれを垂らして牛肉食ったり苺の形したバイブで淫乱三昧だったけど、本当のお肉はあまりおいしくないような気がするのです。これからの私がやっていきたいことは、限りなく本物に似た偽物のお肉を作って量り売りすることです!葉っぱとか土とかを分子レベルに分解して再構築して本物みたいなお肉を作る。皆さんの内臓がひっくり返りそうなくらい、焼けるように甘くておいしいお肉。時間かかっても、一生かかってもがんばるよ。